愛染明王に付いては真言密教の根本典籍とされる大日経・金剛頂経にその記載が無く、金剛頂経より派生したと考えられる瑜祇経にその本説を見出すことが出来ます。瑜祇経自体は早く弘法大師によって中国から本邦に齎(もたら)されましたが、愛染明王を本尊とする供養法(修法/しゅほう)は真言僧の個人的修行を目的に行われ、天皇の御願成就を始めとする国家的目的の為に此の法が修される事はありませんでした。また平安時代中期を通じても同明王像の造立に関する確実な史料は存在しないと思われます。
ところが白河天皇が建立した法勝寺には愛染明王を本尊として祀る(八角)円堂が建てられ、同上皇の院政期にはそれまでと打って変わって同明王の御修法(みしほ)が盛んとなり、多数の彫像・絵像の制作が行われるように成りました。本篇はそうした変化をもたらした特異な政治的事情と愛染明王信仰との関係に付いて述べています。
さて愛染明王は密教の諸仏・諸菩薩を網羅した金剛・胎蔵両部曼荼羅の中にその姿を見出すことが出来ません。それでは同明王は密教の教理体系に於いていかなる位置を占めるのでしょうか。本篇の後半は此の問題について簡単に論じ、幾つかの視点を提供することを目的としています。
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追加掲載記事:愛染明王を説く経典儀軌の事 白河院の御子の僧侶たち 同続き