理趣経曼荼羅と愛染明王
先ず最初に一般にはあまり知られていませんが本篇にとって極めて重要な一史料の紹介から始めさせて頂きます。
慈覚大師円仁(794-864)は波乱に満ちた十年間にわたる入唐求法の旅を終えて膨大な顕密の仏教典籍・曼荼羅図像・法具類を我が国に請来(しょうらい)しましたが、その中に『理趣経十八会曼荼羅十八幀(ちょう)』という曼荼羅集があります。後には東密の禅林寺僧正宗叡(809-884)も入唐して同じものを持ち帰っています。もっとも慈覚大師や宗叡僧正が自ら製作した請来経典目録には此の図像集は記載されていません。昔から「録外」と云って様々な理由から請来目録に記載されなかった典籍・図像類のあった事が知られていますが、此の曼荼羅集もその中に含まれます。
どうしてそれが分かるのかと云えば、台密の碩匠五大院安然(841-915頃)が編纂した『八家秘録』の「録外秘密曼荼羅」の項目に、
理趣経十八会曼荼羅十八楨〔仁・叡〕
と記されているからです(「仁」は円仁、「叡」は宗叡)。『八家秘録』は伝教・弘法両大師を始めとする入唐八家(にっとうはっけ)が請来した典籍類を網羅類別して一覧できるようにした書で正式名称を『諸阿闍梨真言密教部類総録』と云いますが、古くより台密・東密を問わず学僧の間で珍重され、現在に至るまで入唐八家の将来典籍を知る上で最もよく利用されています。
〔『理趣経十八会曼荼羅』は大正新修大蔵経『図像 五』と同十二に収載されています。又た八田幸雄著『秘密経典 理趣経』にも「宗叡請来の曼荼羅」として他の曼荼羅と共に掲載されています。〕
(1)『理趣経十八会曼荼羅十八幀』の内容
次章でも説明しますが『(般若)理趣経』は十七段すなわち十七の場面(十七の法門)で構成されています。此の曼荼羅集は各段ごとにその法門を表す曼荼羅を画いたものです。但し『理趣経』初段に於いては冒頭部で大日如来が壮麗なる天界の宮殿の中で無数の菩薩衆に囲まれて説法する有様が記され(序説)、次いでその法門が説き明かされます。此の序説の部分が「説会(せちえ)曼荼羅」として別立されているから初段には二会(二種)の曼荼羅があり、第二段以後は各段ごとに一会(一種)だけなので、全体としては「十八会(え)の曼荼羅」となります。
此の曼荼羅は『理趣経』を翻訳した不空三蔵(705-774)がその注釈書として製作した『理趣釈経』の説に基づいて作られたと考えられます。細部を見るとかなり相違する点もあるので、直接『理趣釈(経)』に依って製作されたのかどうか確認できませんが、今は此の問題には触れないでおきます。『理趣釈』は空海によって初めて我が国に請来されましたが、是の借覧を希望する最澄の申し出を空海が断った為に二人の仲が決裂したと云う話は非常に有名です。
初段の法門を表す曼荼羅は、実には金剛界九会曼荼羅の理趣会曼荼羅と同じものです。それと今もう一つ注意して置きたいのは最後の第十七段の曼荼羅には五秘密菩薩が画かれている事です。『理趣経』の第十七段自体には五秘密菩薩の事は説かれていませんが、古来『理趣釈』の説によって第十七段の内容は五秘密菩薩の法門(内証)を説き明かしたものとされています。
さて是だけの事なら取り立てて此の『十八会曼荼羅』に言及する必要も無いのですが、この後に更に四種の図像が付加されています。それらは五大虚空蔵・仏眼曼荼羅・大仏頂曼荼羅・愛染明王ですが、この中の大仏頂曼荼羅以外は総て『瑜祇経』の所説に基づいて製作されたものです。即ち五大虚空蔵と仏眼曼荼羅は『瑜祇経』の金剛吉祥大成就品第九、愛染明王は同経の染愛王品第二と愛染王品第五にその本説があります。
それでは前の『理趣経』十七段の曼荼羅に是等の四種曼荼羅図像が付加してあるのは何故であろうかと云う問題が生じます。此の事に付いては後で『理趣経』の概要を述べてから更に考究しますが、差し当って『理趣経』と『瑜祇経』とは何かしら深い繋がりがあるのだと仮定しておきます。また此の『十八会曼荼羅』は初段の説会曼荼羅を別にすれば、金剛薩埵に始まり愛染明王に帰結すると考えることも出来ます。
猶お今の大仏頂曼荼羅は『大妙金剛経』に説く摂一切(しょういっさい)仏頂の曼荼羅で、一大円明(金剛輪)の中央に胎蔵大日如来の姿をした本尊仏頂、その周囲に八仏頂が総て月輪仏として画かれています。摂一切仏頂とは金輪(きんりん)仏頂の異称です。即ち金輪仏頂は仏頂部の諸尊の中でも最尊最勝にして種々の優れた性質・能力を該摂(がいしょう)しているから摂一切仏頂と称されます。此の曼荼羅が仏眼曼荼羅の次に付加されている理由は、恐らく『瑜祇経』に説く仏眼尊と金輪仏頂とが一体不二の関係にあると考えられたからでしょう。此の事に付いても後でまた言及できるかと思います。
(2)『理趣経』の概要
『理趣経』は正式名称(経題)を『大楽金剛不空真実三摩耶経般若波羅蜜理趣品』と云い、一巻の経ですが十七(じゅうしち)段に構成され、各段毎にその説主を変えます。本経の内容理解は古来『理趣釈』を参考して成されて来ましたが、ここでは適宜『理趣釈』も引用して十七段の所説を概観します。
1. 初段 金剛薩埵の大楽の法門
初めに大日如来の説法の有様を記す説会の部分がある事は既に述べました。本説の部分(正宗分)では「薄伽梵(ばがぼん)」(大日如来)が十七清浄句の法門を説き、次いで金剛手菩薩(金剛薩埵)に変身して大楽金剛不空三摩耶を表す心真言を説いて終ります。
『理趣経』十七段とは言ってもその教説は初段の中の此の十七清浄句に尽きると云えます。是は般若波羅蜜の眼を以て世界を観察する時は、一切法すなわち全てのものは善・悪や清浄・垢穢(くえ)と云った対立概念から離れて純粋に輝いていると教えているのですが、先ず最初に「妙適(みょうてき)清浄の句は是れ菩薩の位なり」と説きます。妙適は男女の性的交わりによって得られる悦楽を云い、『理趣釈』は此の句について、
金剛薩埵は妙適の境地を楽しんでいる。それは無縁の大悲を以て際限の無い衆生世界の救済の為に奮闘して飽きる事が無いからである。
と解説しています(意訳)。経はその後も「欲箭清浄の句」から始まって「触・愛縛・一切自在主、見・適悦・愛・慢、荘厳・意滋沢(喜悦)・光明・身楽、色・声・香・味」と十六の清浄句は是れ菩薩の位なりと述べて、凡そ人間が楽しむ心の喜びは亦た菩薩即ち金剛薩埵の清浄なる喜びでもあると説いています。それは何故かと云えば、菩薩は般若波羅蜜の世界に生きているからです。
普通に私たちが日常生活の中で経験する愛憎・苦楽の中での喜びは自分にとって都合が良いかどうかで決まりますが、自他平等の世界に生きる菩薩にとっては無縁の大悲の実践こそが無上の楽しみである。私たちの楽しみは本質的に利己的な狭苦しいものですが十七清浄句によって表現される金剛薩埵の楽しみは大いなるものであるから是を「大楽の法門」と称し、また大楽金剛薩埵とも云います。
2. 第二段 毗廬遮那如来の自証の法門
本段に於いて薄伽梵毗廬遮那如来は自ら悟れる正等覚智について四種の般若理趣を説きます。『理趣釈』によればその四種とは四智すなわち大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智と相応する事です。又た此の毗廬遮那は法身如来では無く、色界の頂にある色究竟(しきくきょう)天に於いて正覚を成じた報身仏であると釈しています。
3. 第三段 降三世(ごうざんぜ)の降伏の法門
釈迦牟尼如来が金剛手菩薩に向かって一切法平等の理趣を説き、又たその義に反する種々の戯論(けろん)の調伏すべき事を説きます。一切法すなわち総てのモノが平等であるとは、此の世に存在する総てのモノが相互依存の関係にある事を言います。何故かと云えば、総てのモノはその本質に於いて一つ(平等)であるからです。
又た終りの部分に於いて金剛手菩薩は降三世明王に変身して上の釈迦仏の教えを顕す一字真言を説きます。
『理趣釈』では、毗廬遮那仏が閻浮提(えんぶだい/人間界)に化生して八相成道を示して釈迦如来となり、また須弥山の頂に於いて内心には観自在菩薩の慈悲心を抱きつつも外には威猛忿怒の形を示現して驕慢の諸天を降伏すると説明しています。
4. 第四段 観自在菩薩の清浄不染の法門
薄伽梵は自性清浄法性(じしょうしょうじょうほっしょう)如来となって、一切法平等の義を理解して世界を観る時には総てのモノは本質的に清浄であり汚れに染まることは無いと説きます。
『理趣釈』によれば、得自性清浄法性如来とは無量寿如来(阿弥陀仏)であり、「浄妙の仏国土に於いては成仏の身を現し、雑染(ぞうぜん)五濁(ごじょく)の世界に住しては則ち観自在菩薩と為る」と言います。
5. 第五段 虚空蔵菩薩の施与の法門
薄伽梵は一切三界主如来となり、欲界・色界・無色界という三界に遍満する無限の宝を自在に与える智恵について語り、また虚空蔵菩薩はその意を標示する金剛宝(如意宝珠)の一字真言を説きます。
『理趣釈』によれば一切三界主如来とは宝生仏であり、虚空蔵菩薩はその変化身に他なり
6. 第六段 金剛拳菩薩の三密成就の法門
薄伽梵は一切如来智印如来となり、瑜伽行者の身口意(しんくい)の三業(さんごう)は四種智印の加持によって仏の三密となり如来身を成就すると説きます。四種智印とは、身印(印契)、語印(真言)、心印(観想)とそれら三印の合成態である金剛印を言います。終わりに薄伽梵は「金剛拳の大三摩耶印」を結び、金剛印の悉地(成就)を顕す自らの一字真言を説きます。
『理趣釈』によれば、一切如来智印如来とは不空成就如来であり、又た金剛拳菩薩に付いても、
修瑜伽者は金剛拳菩薩の三摩地を得るに由って、能く一切の真言教の中の三密の門を成就す。
と説明しています。
7. 第七段 文殊師利菩薩の智慧の法門
薄伽梵は一切無戯論(むけろん)如来となり、世界の本質は実体の無い空性にあり、その故に亦た世界は光明に輝いていると説きます。又た終りに文殊師利童真は般若波羅蜜多の最勝真言を説きます。文殊菩薩は童子の如き天真爛漫なる智恵の眼を具えているので「童真」と言います。
『理趣釈』によれば、一切無戯論如来とは文殊菩薩の異名に他なりません。同書は亦たここで初会(しょえ)金剛頂経の四大品の曼荼羅に言及して解説を試みています。
8. 第八段 転法輪菩薩の入大輪(にゅうだいりん)の法門
薄伽梵は一切如来入大輪如来となり、纔(わずか)に発心(ほっしん)すれば唯それだけで既に仏の世界に入って悟りへの道を歩んでいると云う般若理趣を説きます。また終わりに纔発心(ざいほっしん)転法輪菩薩は手に持つ金剛輪を転じて此の入大輪の義を顕す一字真言を説きます。
「輪」とは車輪のことで仏の世界すなわち覚りに到達する為の乗り物(手段)を言い、具体的には種々の法門を指しますが、曼荼羅のことを亦た「輪壇」或いは「輪」と云います。車輪は円形をしていますが、円(まる)は亦た過不足なき完全性の標示であり、それで曼荼羅法門の円満にして完璧なることを賞美して輪とも言うのです。金剛界の曼荼羅は円形が基本ですから其れで輪と云うとも考えられますが、抑(そもそ)も曼荼羅は覚りに到達する法門の一種ですから輪と称するのは当然です。
『理趣釈』によればここで「大輪」と云うは金剛界大曼荼羅のことで、又た纔「発心転法輪」菩薩のことを纔「発智」菩薩と称しています。発心とは一面に於いて狭い自我に対する執着心から解放される事であり、その事によって忽ち視界が開け理解力が深まりますから、その意味で発心は発智に他なりません
9. 第九段 虚空庫菩薩の広大供養の法門
薄伽梵は広大儀式如来となり、仏に真実供養する法門を説きます。即ち菩提心を発(おこ)す事(発心)、人々の為に尽力する事、仏の教えを守って忘れないようにする事、仏の教えを記した経典を読誦(どくじゅ)し書写する事が如来に対する広大なる供養と成ると説き、最後に虚空庫菩薩は此の義を顕す金剛供養の一字真言を説きます。
『理趣釈』によれば広大儀式如来とは虚空庫菩薩の異名であり、又た上の四種の供養法門を内の四供養菩薩すなわち金剛嬉戯(きけ)・金剛鬘・金剛歌・金剛舞の各供養菩薩に配当しています。
10.第十段 摧一切魔菩薩の調伏の法門
薄伽梵は能調持智拳如来となって四種の一切有情(うじょう)調伏の理趣を説き、次いで摧一切魔菩薩は金剛薬叉の形を現し忿怒大笑の一字真言を説きます。
『理趣経』は全段を通じて難解なる教説が多いのですが、此の一段も常識的な考えでは理解に苦しむ経文が記されています。一例として四種の調伏を述べてから、
一切有情の調伏は則ち菩提と為す。
と言いますが、この部分の解釈を少し試みてみます。抑(そもそ)も「調伏」とは一体何を調伏するのかと云うと、それは過度な自尊心に代表されるような狭隘(きょうあい)なる自我について言っています。生命ある者(有情)は皆その「生命力」を宇宙の根本力である大日如来によって生かされていると云う点では「一つ」すなわち「平等」である事を本質としていますが、実際には自分の欲望を実現する為に他人を虐(しいた)げ利用する事を意に介しようとしません。又た少しでも侮蔑され無視されるとその事に思い悩んだり、時には仕返しをしようとしたりします。こうした狭苦しい自我から離れて積極的に自己実現に邁進する事が「調伏」であり、それは亦た「菩提」に他なりません。
さて『理趣釈』によれば、能調持智拳如来(能調の智拳を持す如来)とは摧一切魔菩薩(金剛牙菩薩)の異名であり、実にはその本地身は慈氏菩薩(弥勒菩薩)であると言っています。又た四種調伏の中、第一を降三世明王の法門、第三を馬頭観音の法門としています。
11.第十一段 金剛手菩薩の智慧の法門
今まで初段から前段に及ぶ十段(十会)の説主は実には初段の所で述べた「説会曼荼羅」の諸尊に該当しています。即ち大日如来/金剛薩埵とそれを取り巻く金剛手菩薩(降三世明王)・観自在菩薩以下の八大菩薩です。此の段は今まで説いてきた種々の般若理趣を要約・再説する為に設けられたと考えられます。その事は此の第十一段の曼荼羅が、金剛手(金剛薩埵)を中心とする八輻輪に八大菩薩を配する形に描かれている事からも窺(うかが)うことが出来ます。
さて薄伽梵は一切平等建立如来となり、般若波羅蜜多を実践する事によって世界の中に最勝(最良)なるものを生み出すことが出来ると説きます。「平等」とは前にも述べたように自他平等のことであり、それを「建立」するとは狭隘なる自我に対する執着を離れて他をも包摂する大いなる自我(大我)の世界に生きることです。また終りの部分で金剛手菩薩は、一切如来と菩薩との平等義を顕す一字真言を説きます。
『理趣釈』によれば一切平等建立如来とは普賢菩薩の異名ですが、普賢と金剛手すなわち金剛薩埵とは同一体です。此の事に付いては次章で詳しく説明します。又た今の曼荼羅を解説して金剛手菩薩と降三世明王とが同一尊である事を述べ、更に此の第十一段を「降三世教令輪(きょうりょうりん)品」と名付けています。第三段に於いても金剛手は降三世に変身して一字真言を説いていました。
12.第十二段 外(げ)金剛部の菩提の法門
薄伽梵は一切有情(うじょう)加持の般若理趣を説き、一切有情すなわち生きとし生ける者は皆な実には普賢菩薩であり如来の加持力によって自他平等の真実広大なる世界を生きることが出来ると言います。時に外金剛部の諸天は此の教えを聞いて歓喜して目覚め、内心に宿る不滅の真実心を顕す一字真言を説きます。
外金剛部とは元来仏教以外の諸宗教で信仰されていた諸天(神々)ですが、密教では是等の神々を排斥抹消すること無く反って大日如来の広大なる優れた働きの一環と見なし、仏菩薩を中心とする大曼荼羅の周辺部に配置しています。その意は、神々も人間も総て生命ある者は此の世界に於いて果たすべき役割があり、その事を自覚することに依って心の自在を得て仏の世界すなわち曼荼羅を生きる事になるからです。
『理趣釈』による第十二段の曼荼羅は、色界の頂に住する摩醯首羅(まけいしゅら)天を中尊とする諸天の曼荼羅であり、是を説明して、
若し世俗に依らば是を外(げ)の曼荼羅と名づけ、若し勝義に依らば則ち普賢(菩薩)の曼荼羅と為す。
と述べています。
13.第十三・十四・十五段 諸天の覚悟の法門
第十三段に於いては七母女(しちもにょ)天、第十四段では末度迦羅(まどきゃら)天の三兄弟、第十五段では四姉妹女天がそれぞれ内心の真実を顕す一字真言を説きます。
『理趣釈』によれば、七母女天は摩訶迦羅天(大黒天)の眷族であり梵天后と併(あわ)せて八供養菩薩を表し、次に三兄弟とは梵天王と那羅延天(ヴィシュヌ神)と摩醯首羅天(大自在天/シヴァ神)であり、又た四姉妹女天は実には常・楽・我・浄の四波羅蜜を表しています。
14.第十六段 毗廬遮那如来の法界遍照の法門
薄伽梵は無量無辺究竟(くきょう)如来となり、此の般若理趣の教えの究極の相(すがた)である平等金剛の出生(しゅっしょう)を説き明かします。即ち般若波羅蜜多には無量の法門があり亦その内容は広大無辺であるから、それを体現する一切如来も無量・無辺である。一方、世界の中に存在し活動する総てのモノは同一の本質を有して、而(しか)もそれぞれが究極の有り様を示しているから、般若波羅蜜多も実には一性であり究極(大悲の活動)を実現すると云います。
『理趣釈』によれば無量無辺究竟如来とは毗廬遮那仏の異名であり、又た此の段の曼荼羅を説いて金剛界の五部すなわち仏部・金剛部・宝部・蓮華部・羯磨部の各部それぞれが亦た五部を具有する広大無辺の曼荼羅であると述べています。此の意は『華厳経』に説く「相即相入」の思想を密教的に表したものと考えられます。此の思想は亦た具体的には「因陀羅網」すなわち帝釈天王宮に張り遶(めぐら)された宝珠網の比喩で表現されます。即ち此の網の一々の結び目には美しい珠玉があり、それらが互いに映じ合って無限の映像を作り出して輝きわたり、是を以て個々の玉が珠網全体と相互に影響を及ぼし合っている事、一と全体との密接不可分なる「相即相入」の関係を示しています。
今ま実生活に即して考えてみれば、一個人のささやかな活動が社会を形成する重要な契機と成っている事、更に個人に限定して考えれば、たとえ小さな一歩であってもそれを育み活かすことに依って人生全体を大きく変容させるであろう事を教えていると思われます。
さて此の第十六段では一字真言が説かれませんが、『理趣釈』によれば、今の広大なる曼荼羅の一々の聖衆(しょうじゅ)がそれぞれの心真言を有しているからそれらを一々記すことは出来ないからです。
15.第十七段 五秘密菩薩の法門
薄伽梵毗廬遮那は秘密法性無戯論(むけろん)如来となり大楽金剛不空三昧耶なる般若理趣を説き、利己的な欲望と快楽の追求を小さなものにしてしまう大欲・大楽の世界に生きる菩薩は亦た大いなる力と自在力を得て、此の苦悩と混乱に満ちた世界の中で人々の利益と安楽の為に奮闘して飽きることが無いと云います。この後で偈文(げもん)を以て重ねて此の法門を説き明かしますが、この部分は終りに当たって『理趣経』全体の心要を簡潔に述べたものと解する事もできます。又た此の偈は漢字百文字で作られているから「百字の偈」と云い習わしています。最後に一字真言「吽(うん)」を説いて本経は終わります(実際には短い流通文〔るずうもん〕が付加されています)。
『理趣釈』によれば第十七段は五種の秘密三摩地、即ち金剛薩埵と欲・触(そく)・愛・慢四菩薩からなる五秘密菩薩の最秘密の法門であると云い、経文と各菩薩の三摩地との対応関係を具(つぶさ)に記しています。
(3)十七尊曼荼羅/理趣会曼荼羅と五秘密曼荼羅に付いて
『理趣経』の中心思想は初段の十七清浄句に集約されていると云うのが古来の一致した見解であり、従って説会(序説)と十七段それぞれに曼荼羅があると云っても実際には金剛薩埵を主尊とする初段の曼荼羅を以て理趣経曼荼羅とする事が多いようです。三宝院流の場合も理趣経法を修する時、普通は初段の曼荼羅すなわち理趣会曼荼羅を本尊に用います。金剛界(九会)曼荼羅の西北隅(向かって右上)に位置する理趣会曼荼羅が『理趣経』初段の曼荼羅に同じである事は第一章でも言及しましたが、本図は金剛薩埵以下十七尊で構成されているから亦た「十七尊曼荼羅」とも称します。
ところが此の理趣会曼荼羅は『理趣経』の為に作られたものではありません。金剛界九会曼荼羅は『初会金剛頂経』の曼荼羅集であり、他経の曼荼羅が介入する余地の無い事は当然でしょう。それでは理趣会曼荼羅は何の曼荼羅かと云うに『密教大辞典』等によれば元は「一印会」の曼荼羅であると説明しています。普通には一印会は九会曼荼羅の中央上の智拳印を結ぶ大日如来一尊を描いた曼荼羅を指しますが、『金剛頂経』自体は大日如来では無く金剛薩埵の一尊曼荼羅を説いています。金剛薩埵は大日如来の菩提心そのものであり、また金剛薩埵が金剛界曼荼羅の法を修して仏の智慧を成就した姿が大日如来ですから本質的に両者は一体です。実際には金剛薩埵は一尊像で無く、『大楽金剛薩埵軌』『普賢金剛薩埵軌』など金剛頂系の金剛薩埵法を説く儀軌により眷族を伴った十七尊像と成っていますが、是は九会曼荼羅全体の図像的バランスを配慮した事もあるのでしょう。
『理趣経』初段の十七清浄句は此の十七尊の法門を表しているので、初段の曼荼羅は元来が一印会である理趣会曼荼羅と同じになっています。
同経第十七段の曼荼羅である五秘密曼荼羅は一月輪中の同一蓮台上に金剛薩埵を囲む欲・触・愛・慢四菩薩が描かれていて、一見すると十七尊曼荼羅とは全く別の曼荼羅に思われがちです。しかし十七尊/理趣会曼荼羅に於いても中尊金剛薩埵の四方に欲触愛慢の四菩薩が配され、他の十二尊は八供養と四摂(ししょう)の菩薩という金剛界通例の諸尊ですから、十七尊曼荼羅の肝要を採って八供・四摂の菩薩を省略する時には五秘密曼荼羅に成ると云う事ができます。
従って『理趣経』十七段の曼荼羅は金剛薩埵に始まり同じく金剛薩埵で締め括(くく)られていて而も初後の両曼荼羅は基本的に同一と考えられますから、『理趣経』一巻はその総体が金剛薩埵の三摩地法門であるとする古来の定説は曼荼羅の上からも裏付けられます。
〔『理趣経』とその曼荼羅に付いて述べる際には七巻本『理趣経』に言及しなければならないのですが、此の七巻本は宋代に法賢三蔵によって初めて漢訳された経典であり勿論入唐八家の請来経軌中には含まれず、それ故に伝統真言教学との直接の関わりが無いから今は無視させて頂きました。〕
さて次章に入る前に金剛薩埵すなわち金剛手菩薩の尊格に付いて簡単に一瞥しておきます。一般には顕教の普賢菩薩が密教教理の中に取り入れられて金剛薩埵に成ったと説明されています。普賢菩薩は修行中の釈迦牟尼仏である悉達(しった)太子をモデルとして大乗仏教の中で理想の修行者像として成立した尊格であり、また悉達はシッダールタの音写ですがその意を取って一切義成就菩薩とも称します。
しかし密教の中で普賢菩薩が金剛薩埵と成ってその姿を消してしまった訳ではありません。「敬礼(きょうらい)諸仏」以下の「普賢菩薩十大願」は顕密を問わず仏道に精進する修行者の誓願であり、不空三蔵も『普賢菩薩行願讃』一巻を漢訳しています。また普賢菩薩の変化身である普賢延命菩薩を本尊として修する「普賢延命法」は中古の真言御修法(みしほ)の中で重要な位置を占めていました。
それでは密教教理の中で普賢・金薩両菩薩の関係はどのように解されているのでしょうか。『金剛頂経』に説くところに依れば、普賢大菩薩は婆伽梵(ばがぼん)一切如来すなわち毗盧遮那仏の大菩提心そのものであり、一切如来の心より出現してその御前(みまえ)に住した。時に一切如来は普賢大菩薩の為に転輪聖王(てんりんじょうおう)の潅頂を授けんとして一切仏身を象徴する宝冠を与えた。潅頂が終ってから一切如来は普賢菩薩の両手に跋折羅(ばざら)すなわち金剛杵を授与し、また普賢菩薩に金剛名を与えて金剛手菩薩と称するようにした。かくして金剛手菩薩は左手を拳にして腰に按(お)いて慢印と為し、右手に(五智)金剛杵を抽擲(ちゅうちゃく)して金剛薩埵の威儀に住した、と述べています。〔真言宗の伝統教学では単に『金剛頂経』と云う時は『初会金剛頂経』の部分訳である不空三蔵訳の三巻本『教王経』を指します。今も『教王経』に依りながら適宜意を補って記しました。〕
普賢菩薩が大日如来の潅頂を受けて金剛手菩薩に成ったのであり、その「金剛手」とは金剛杵を手に執持する者の意で亦た「執金剛」などと称しますが、広く解すれば胎蔵曼荼羅の金剛手院の諸尊は皆な手に金剛杵を持っていますから金剛手菩薩と言うことが出来るでしょう。金剛杵は人を苛(さいな)み苦しめる煩悩を打ち砕く仏の智恵の武器であり、金剛杵を自在に操る金剛手菩薩はその点で降伏明王の性格を帯びます。従って『理趣経』第三段の終りの部分で金剛手菩薩が忿怒身(教令輪身)の降三世明王に変身するのも理に適っていると云えます。
最後に金剛手菩薩と金剛薩埵との異同に付いて一言すると、金剛手菩薩は上に述べた通りその用語法に幅が設定できますが、『大日経』『金剛頂経』共に両菩薩を同一尊の異名とし殊更に区別してはいません。是に付いては後に第五章でも言及します。また金剛薩埵はその本身が普賢菩薩であるから普賢金剛薩埵とも称されます。
(4)愛染明王・金剛薩埵一体の口決について
愛染明王は金胎両部大経すなわち『大日経』『金剛頂経』に所説を見ないがその本説たる『瑜祇経』は金剛頂系の経典ですから、同明王の本身を金剛界曼荼羅の主要尊たる三十七尊中の一尊に求める種々の口決があります。今その詳細を論じる事はできませんが此の事に関しては真言小野流の場合、鳥羽僧正範俊(1038-1112)による如法(にょほう)愛染王法の創修が一つの画期を成したと云えます。
醍醐の三宝院大僧正定海(1074-1149)の口決を松橋(無量寿院)大僧都元海(1093―1156)が記した『厚造紙』には、
白河上皇が一院として政治を執っておられた時、その御所である六条殿に於いて鳥羽僧正範俊が(初めて)如法愛染王法を修した。天蓋に八色幡を懸け、修法を行なう大壇には理趣会曼荼羅を敷いたのである。
と云い、また金剛薩埵の替わりに愛染明王を中尊とする十七尊曼荼羅の図を載せています。即ち範俊は愛染明王を金剛薩埵の変化身と考えていた事が分かります。その上更に、「理趣会を以て愛染曼荼羅と為す事は高野後僧正(真然)の御伝である云々」と述べている事も非常に注目されます。
中院僧正とも称された真然(しんぜん 804―891)は弘法大師空海から高野山の附嘱を受けた高弟であり、又た大師より愛染明王の秘印を授けられたと云う伝承もありますから、その真偽を確かめる事は困難であるとしても愛染・金薩一体の口決は既に平安初期の真言宗に存在していた可能性があります。
前章で述べたように『理趣経』初段の曼荼羅は金剛薩埵を中尊とする理趣会曼荼羅に同じであり、また最後の第十七段の五秘密曼荼羅も金剛薩埵の曼荼羅ですから、愛染法の修法に理趣会曼荼羅を使用するのであれば五秘密曼荼羅を用いる事も理に適っている筈です。実際、元海大僧都の写瓶(しゃびょう)の弟子であり松橋流の開祖とされる一海阿闍梨(1116―79)の次のような口説が伝えられています。
亡くなられた元海大僧都は、五秘密法と愛染法とは突き詰めれば一つであると心得るように命じられた。 自分が此の事を考えるに、それも理由があると思う。愛染明王の曼荼羅には二様がある。一つは理趣会曼荼羅十七尊の中心に愛染王を置く。又の様は五秘密曼荼羅の金剛薩埵を改めて愛染王と為すのである。元海大僧都によれば、故定海大僧正は後説を以て特別に秘密の説としておられた。
此の一海の口伝は、一海の弟子の中でも松橋四天王と称された弁入道生西(しょうさい ―1158―72―)が諸尊法に関する師の口説を書き記した『雑抄』の中に見えます。
一方、尊像の面から此の愛染・金薩一体の口決に付いて考えると、愛染明王は六臂(ろっぴ)すなわち六本の腕を有していますがその第一の左手に金剛鈴、右手に五股金剛杵を取持していますから、此の事から明王が金剛薩埵の変化身であろう事が容易に推察されます。『瑜祇経』の「愛染王品」に、
左手に金剛鈴を持ち 右は五峰(ごぶ)の金剛杵を執る その儀形(ぎぎょう/威儀と形色)は金剛薩埵の如くであり 衆生の世界を利楽している
と説かれている通りです。
又た醍醐寺座主の実運僧都(1105―1160)作『玄秘抄』には、愛染明王の形貌は金剛界曼荼羅の東方阿閦如来の四親近(ししんごん)菩薩を総じて表しているとする説が「秘伝」として紹介されています。即ち金剛薩埵の他にも、明王の獅子冠にある五股鉤は自在に衆生を鉤召(こうちょう)して帰伏せしめる金剛王菩薩を表し、第二の左右の手に執る弓箭は一切衆生を愛念するが故にその悪心を射害する金剛愛菩薩、又た「首(こうべ)を低(た)れる」事は金剛喜菩薩を表していると言います。最後の首を低れるとは頭部を左(向かって右)に傾(かし)げる事を云い喜悦の標示とされます。彫刻や彩色の愛染明王像では是が表現されていませんが、今の円仁・宗叡請来の曼荼羅集では見事に描かれています。従って愛染明王の形像は東方四親近菩薩の働きを総摂(そうしょう)した上で、「(瑜祇)経に左の下の手(第三手)に彼を持せしめよ、右の蓮(はちす)をもって打つ勢いの如くせよと者(い)うは別して明王の徳を顕す」と結論し、更に此の明王の「勇猛なる菩提心」は金剛薩埵そのものであると述べています。
実運は晩年に至るまで明海(みょうかい)と称していましたが、醍醐寺座主で三宝院を建立した勝覚権僧正(ごんそうじょう)の弟です。勝覚の滅後に勧修寺(かじゅじ)長吏(ちょうり)の寛信法務の弟子となってその法流(勧修寺流)を相承し、後には元海より醍醐の座主職と三宝院の経蔵を譲られその正嫡(しょうちゃく)の弟子と成りました。ここで注意すべきは実運が元海から委細の伝授を受けていない事で、元海が定海より相承した三宝院流の正統はむしろ一海に受け継がれて松橋流の名を以て後世に伝えられたと考える事ができます。
(5)大楽思想と愛染明王
以上に述べ来った事から、第一章で言及した『理趣経十八会曼荼羅十八幀』末部の四種図像は理趣経曼荼羅に漫然と付加されものでは無く、むしろ最初から明確な意図を持って此の曼荼羅集は編集されていると考えるべきでしょう。その意図とは、一つには『理趣経』は一字真言を別にすれば理趣すなわち教理のみを説いているからその理趣を修行実践する経典が別にある筈であり、それが実に『瑜祇経』である事を示さんとしたのであり、二つには金剛薩埵の飽くなき利他行の究極の実践が愛染明王に転化する事を訴えんとしたのでしょう。此の事に付いて更に考えてみます。
先に第三章に於いて両部大経では金剛手菩薩と金剛薩埵の間に明確な概念上の相違は認められないと言いましたが、『理趣経』にあっては両菩薩の位置付けは明らかに異なっています。即ち金剛薩埵は『理趣経』の中心思想である大楽思想を体現する菩薩として初段と最後の第十七段でその法門が説かれているのに対して、金剛手菩薩は第三段で般若思想の根幹を成すとはいえ一切法平等の法門を代表しているに過ぎません。〔但し実際には『理趣経』では金剛薩埵なる名称は使われず、初段に於いても「持金剛の勝薩埵」なる語は見られるものの金剛手菩薩と「執(しゅう)金剛」という語しか用いていません。それでも不空三蔵の『理趣釈』等に依って初段と第十七段を金剛薩埵の法門とする事に異議を唱えた真言学僧はいないと思います。〕
『理趣経』の経題(正式名称)である『大楽金剛不空真実三摩耶経』の大楽金剛とは金剛薩埵のことですが、大楽に付いては初段の十七清浄句の「妙適清浄句」に対する不空三蔵の解釈が要を得て非常に分かりやすいので再出すると、
金剛薩埵は妙適の境地を楽しんでいる。それは無縁の大悲を以て際限のない衆生世界の救済の為に奮闘して飽きる事が無いからである。
と述べています(『理趣釈』の意訳)。妙適は最高の肉体的快楽ですから比喩の対象として亦た最適と考えられたのでしょう。大楽法門に限らず密教に於いては性的表現を多用する事は周知の通りです。次に金剛とは決して壊れることが無い、即ち永遠不滅なるものを表していますから、「大楽金剛」とは大楽を自らの体性(たいしょう/本質)とするものの意で具体的には金剛薩埵を言うと考えられるのです。次に「不空真実三摩耶」とは言葉や教理だけの空論では無く真実自らの生存を賭して実践すると云う三摩耶(誓願)の意ですから、『理趣経』の経題は極略すれば「金剛薩埵の真実の誓願」と云う意味です。
両部大経が成立して密教儀礼と教理が整理され一大体系が生み出されるに至った時、こうした理論的あるいは儀礼重視の密教に飽き足らず、むしろ現実の喜怒哀楽が渦巻く世界の中で世尊毗盧遮那(大日如来)の大生命を生きるべきあると考える一派が現れ、自分達が理想とする修行者像として従来の金剛手菩薩に優れて実践的な性格を付与した新しい金剛薩埵の概念を成立させたのでしょう。
それでは『理趣経』に説く所の大楽の世界に生きる金剛薩埵の姿を更に突き詰めると果たして『瑜祇経』に説く愛染明王に転化するのでしょうか。ごく単純に考えると金剛薩埵の「無縁の大悲」が一切衆生に対する愛着の念すなわち大愛染(貪染/とんぜん)に転じて愛染明王に成ったのだとも言えます。是に付いては明王の身体が赤色なる事を説明する次のような口決が注目されます。即ち報恩院流祖の憲深僧正(1192-1263)の口説を記した『薄草子口決』の中で、
愛染明王は敬愛を本誓とするからその事に相応する赤色をしているのである。しかし実にはより深い意味合いがある。此の尊の慈悲の念は心肝をも染め上げ、憐愍の情は骨髄にまで達している。衆生の苦しむ様を見て憂い悲しむが故に全身の毛孔から血が流れ出し、その事によって遍身赤色(へんしんしゃくしき)と成るのである。
と述べて更に『涅槃経』第十六の「極愛一子(ごくあいいっし」の義を説明しています。〔憲深の法恩院流は三宝院流の支流として地蔵院流と共に鎌倉末から近世にかけて繁盛し、現在に至るまで盛んに伝授が行われています。〕
従って大楽金剛薩埵の大悲が転じて外に忿怒(ふんぬ)の赤色身を現出したのが、即ち密教用語を用いればその教令輪身(きょうりょうりんじん)が愛染明王であると主張する事も可能でしょう。
愛染明王の本経『瑜祇経』に付いてはその成立の背景や経緯が不明であり、『理趣経』の修行実践法門が『瑜祇経』であると主張し証明することは文献からも教理史の上からも不可能と思われます。〔『理趣経』の曼荼羅と修行法を詳しく説いた七巻本『理趣経』(理趣広経)に関しては前にも述べたように一応無視します。〕
しかし慈覚大師と宗叡僧正により請来された『理趣経十八会曼荼羅十八幀』とその後の東密口伝の伝承を考えると、やはり愛染明王を以て『理趣経』の精神を究極的に体現している仏とする教説が既に後唐期の中国に存在し、平安時代を通じてその教えが連綿として伝承されたのだと思われます。
最後に『理趣経十八会曼荼羅十八幀』の末部の四種図像に付いて今一度検討を加えましょう。理趣経曼荼羅に続く五大虚空蔵菩薩と仏眼仏母(ぶつげんぶつも)の曼荼羅は共に『瑜祇経』の「金剛吉祥大成就品第九」の所説に基づいており、而も此の金剛吉祥とは仏眼仏母のことであるから五大虚空蔵は仏眼仏母の眷族です。
少し詳しく言うと「金剛吉祥品」に於いては先ず金剛薩埵が「一切仏眼大金剛吉祥一切仏母心」すなわち仏眼仏母の心要を説き、是に依って忽然として一切(仏眼)仏母身が出現し大白蓮華に住し、自らの真言とその優れた功能(くのう)を説きます。従って金剛薩埵は仏眼尊の本身であるとも両尊は一体であるとも言えるでしょう。又た仏眼仏母は後で自らの曼荼羅画像法を明かし、次いで五大虚空蔵の真言と曼荼羅を説くのです。
此の仏眼尊と愛染明王とを同一尊とする口決は前章の冒頭で紹介した元海大僧都の『厚造紙』に記されていて、
愛染明王・仏眼仏母・降三世明王は同一の仏である。(普賢)延命菩薩も亦た同じである。それは何故かと云えば皆金剛薩埵の所変であるからである。
と述べています。又た愛染・仏眼一体の口決は只の教理的或いは観念的レベルに留まらず、実際の修法に於いてもそれが採用されるように成りました。即ち現今通用の愛染法次第は『瑜祇経』の「金剛吉祥品」に説く仏眼尊の「三種印真言」を本尊加持に加用していますが、此の事は白河院政期以前には見られなかった事であり、鳥羽院政期に至って醍醐小野の次第に是が用いられるように成ったのです。
さて「金剛吉祥品」に於いては亦た仏眼仏母が「一字頂輪王」即ち一字金輪仏頂を化作(けさ)する事を説いています。此の頂輪王はまた仏母尊の為にその足下と頭頂に輪(りん)を設けて供養し、更に「大金剛吉祥無上勝」なる一百八名讃(いっぴゃくはちべいさん)を説きます。従って第一章の終りの所で言及したように仏眼仏母と一字金輪とは同一尊と見なすことができ、是が今の四種図像に於いて仏眼曼荼羅の次に『大妙金剛経』に説く大仏頂曼荼羅を載せる理由であると考えられます。勿論、大仏頂曼荼羅の主尊が摂一切仏頂/一字金輪であるとしても一字金輪の曼荼羅は他にもある訳ですから、何故に『大妙金剛経』の所説が用いられているのか問題は残ります。
かくして最後に『瑜祇経』一部全体がその三摩地法門であるとされる愛染明王の一尊像を描いて『理趣経十八会曼荼羅十八幀』は終っています。
以上
〔本篇は平成20年10月13日付で文章が確定しました。以後は本文内容を変更する際には必ず注記を付させて頂きます。〕